4代目予定として、家業である製造メーカーに入社をしたのだけれど、家業を継ぐかどうか?については、本当に悩みました。当時は、別の会社に勤めており、いろいろなことを任されるようになっていたし、幸いにも不自由のない生活もすることが出来ていたからです。また、周りの仲間などから事業承継も苦労を聞かされていたのも影響していました。株を承継するだけで借金を負うことになるし、そもそも今まで関わったことない分野に飛び込んでいくことになります。その変化が起こることに対して、腹がくくれていなかったのが家業に戻りたくなかった一番の要因であったと振り返ると思います。一方で、こういうことを言うと、贅沢な悩みだとか、そういうところがあって羨ましいとか、一生お金に困らないねとか、言われることもありました。正直、細かいところまで、話してもいないので、それも本音だと思うし、そう思われても仕方がないとも思っています。別に家業に戻ったからといって、給料が上がるわけでもないし、責任と会社の資産と会社の借金を抱えるだけだから、大変なんだよと言っても理解してくれる人は少ないと思っています。
そんなこんなで戻りたくないとは思っていたものの、父の「俺にも計画があるんだ!戻ってこい!」という怒り電話をもらってから、真剣に戻ることを考えました。父の俺の計画とはなんだ?とか、商社勤めから製造業に戻って何ができる?戻ったほうがやっぱりリスクが高い?そもそも家業とは何か?そもそも、「戻る」という表現は正しいの?など。
いろいろ悩みながらも、1つの結論に達しました。腹をくくって、家業に戻り、全てを受け入れ、父がどんな思いをして、こちらに頼んできているのかをしっかり把握して親孝行をしていこうということを決めました。
そして、実家の製造メーカーに入社してから、父のいう「俺の計画」を真っ先に確認をしました。その計画は、3-5年後に引退しようかなと思っているから、戻ってくれなきゃ困るということだけでした。「そもそも、うちは、本家でお前は長だから家業を継ぐのは当たり前だろ。俺もそう育った。今まで、何も言ってこなかったけど、逆になぜ当たり前のことがわかってないんだ?」と逆に怒られる始末です。なるほど。ここで、「家系」という文化の考え方が発生してくるんですね。計画ではなくて、当たり前のことを進めただけだったということです。確かに、「家系」を継いでいく文化は、古来から日本ではずっと残っています。それが名字だったり、土地だったり、お墓だったり、形は様々です。しかし、言い訳がましくなってしまうけど、自分自身がそこまでそういう教育を受けてこなかったし、そもそも家系を感じさせる親戚との付き合いもほとんど参加していませんでした。たまに、親戚の話も家の中で出ますが、会ったこともない人かつ今後も関わりがないと思う人の昔話を聞いてもピンとこないのがオチですね。
そういうことで「家系」を守りたいという思いが強すぎたという計画には驚きましたが、この会社がより良くなり、会社に関わる人全てが笑っていれるように頑張っていこうと決めた瞬間でもありました。
まずは、会社の歴史から振り返ることにした。過去の20年の財務諸表を引っ張り出し、どういう時期が良かったのか?なぜここ10年以上営業利益が赤字続きなのか?など分析していきました。よくわかったのがリーマンショックが1つのターニングポイントになっていることでした。そのことについては、また別の機会に書きたいと思います。
会社の過去を確認する作業をしていると、そもそもこの会社はなんで出来たんだろうと思うようになってきました。創業者が当時生き残るために会社作ったと聞いていますが、当時の書類はほとんど残っていません。唯一、講演会の下書きみたいなものは見つけました。そこでは「技術者として、こういう商品が世の中のニーズにあったから、設備を改造しながらお客様のニーズの商品を作ってきた」という今の言葉でいうマーケットインの考え方が散りばめられていて、感動したのを今でも思い出します。
そういうことを目にして、僕のような4代目になる家業を継ぐものとして、創業者はどんな思いでこの事業を興し、何を目指していたのか?ということを、残されていた文章や父の言葉だけでなく、直に会って聞いてみたいと切に思います。しかし、それは叶わぬ夢ですし、叶わぬのであれば、創業者が思っていただろうという気持ちで様々なことにチャレンジをして失敗をして、前に進んでいかねばならぬということが、アトツギとしての自分なりの答えであると思っています。